マスタリングは音源制作の最終工程です。予備知識がないと、レコーディングやミックスに比べてシンプルな作業に見えるかもしれませんが、実際はかなり奥が深く、想像以上に多くの要素が関わっています。この記事では、マスタリングエンジニアの仕事とは何か、その役割と作業内容を解説します。
マスタリングエンジニア(ME)の責任は幅広く、音の処理はもちろん、曲をより良く仕上げてインパクトを与えられることも、彼らが求められる理由のひとつです。音楽業界にとって欠かせない存在と言えるでしょう。
ハードウェアやソフトウェアの機材、鍛えられた耳、そして技術的な知識を駆使して、リリース前の曲に最後の仕上げを施す――それがMEの仕事です。では、マスタリングは制作プロセスの他の工程と何が違うのでしょうか。また、ミックスエンジニアにもその技術はあるのに、なぜ自分でマスタリングしないのでしょうか?
多くの場合、ミックスエンジニアが自分のミックスをマスタリングしないのは、長い時間をかけて音を作り込んできたために、次のようなことが起こりやすいからです。
- 一部の問題について、判断が偏ってしまう
- 本来対処すべきポイントを見落としてしまう
とはいえ、今の音楽シーンでは、制作のすべてを自分でこなすインディーズアーティストも珍しくありません。この記事ではあくまで「マスタリングエンジニアが何をしているか」に焦点を当てますが、自分でマスタリングしなければならない人にも役立つ情報がたくさんあるはずです。
人気のMEは、長年かけて自分ならではの音のクオリティを確立し、それをクライアントに保証できることで、他との差別化を図っています。音楽の世界ではよくあることですが、これはクライアントのネットワークを広げ、評判を築くことで実現されます。独自の耳、機材、リスニング環境、モニター、プラグイン、そして作業プロセス――これらの組み合わせが、彼らを特別な存在にしているのです。
この記事では、次のテーマを掘り下げていきます。
- MEの役割
- どのように作業しているのか
- よくある誤解
それぞれのテーマをさらに細かく分けて、マスタリングのさまざまな側面とエンジニアの役割を見ていきます。この工程にどれだけのことが詰まっているかに驚くかもしれません。自分でマスタリングするときや、マスタリングに出す最終ミックスを準備するときのヒントも見つかるはずです。
マスタリングエンジニアの仕事と役割
MEが担う仕事の中には、想像どおりなかなか複雑で、うまくこなすにはかなりの知識が必要なものもあります。MEの役割として、ここでは次の項目を取り上げます。
- 制作の最終工程
- 品質チェック
- 音の処理
- 音圧(ラウドネス)
- さまざまなプラットフォームや再生機器への対応
- ISRCコード
- アルバムやEPの仕上げ
制作の最終工程
アナログレコードの世界では、曲の最終的な波形がレコード針を揺らしすぎて溝から飛ばないようにすることがMEの役割でした。レコードは回転し、針は溝の中に収まってそれをなぞるという物理的な仕組みです(溝の形は波形そのもの)。そのため、クリアで問題のない再生のためには、針が無理なく溝に収まる必要があります。
現在、音楽の多くはデジタルで扱われています。つまり、マスタリングで考慮すべき物理的な制約は少なくなり、そのぶん音作りを自由に試せるようになりました。
とはいえ、MEの目標は昔も今も同じです。知識と経験を生かして、受け取った音源の音圧、明瞭さ、インパクト、そして雰囲気を高めることです。
品質チェック
MEが最初に行うのがこの作業です。音源を注意深く聴き、さまざまな特徴やパラメーターを確認します。
MEは曲を最初から最後まで聴き、気になる点や対処が必要そうな点をメモします。何か違和感があれば、ツールを使って原因を突き止めます。品質チェックの主なポイントは次のとおりです。
- ビット深度:音源のビット深度(16bit、24bit、32bit)はMEにとって多くの情報を与えてくれます。大きいほど、理想的には32bit floatであるほど、MEが扱える余地が広がります。たとえば、クリップ寸前のファイルでも32bit floatで提出すればそれほど問題にならず、ミックス時のヘッドルームもあまり気にしなくて済みます。
- クリッピング:クリッピングとそれに伴う悪影響(望ましくない種類の歪みなど)を避けるため、ミックスのトゥルーピークは0dBを下回っている必要があります。
- 位相:タイミングのずれや逆相によって周波数が打ち消し合うと、不自然な音になることがあります。聴いていて落ち着かない感じがし、音質も下がるため望ましくありません。この場合、ミックスは修正のために差し戻されるでしょう。
- ダウンサンプリング/アップサンプリング:音源がダウンサンプリングまたはアップサンプリングされていると、不要なノイズ成分が残り、問題を引き起こすことがあります。
- 歪み:歪みの原因はいろいろあり、狙った音である場合もありますが、ここでチェックするのは「悪い歪み」です。意図しない歪みは曲を台無しにしてしまいます。
- モノラル/ステレオ:位相の問題を避け、さまざまな再生機器で音が抜け落ちないようにするため(実際に起こり得ます)、曲の一部の要素はモノラルにしておく必要があります。
音圧(ラウドネス)
音圧は単なる「dB」の問題よりずっと複雑です。「ラウドネス・ウォー(音圧戦争)」は長く続いており、音楽の聴感上の音量をどう標準化するかは常に課題となってきました。たとえば、ラジオで前の曲より大きく聞こえる曲は目立ち、より多くの人の注意を引きます。それが売上につながる可能性もあるため、一時期はみんなが少しでも音圧を上げようとしていました。
しかし現在では、音楽配信に使われる多くのオンラインサービスが独自の圧縮アルゴリズムを持っており、音圧が高すぎると音が変わってしまうことがあります。そこで重要になるのがLUFS(Loudness Units Full Scale)です。この測定基準は人間の聴感と電気信号の両方を考慮したもので、基準値はサービスによって異なります。たとえば「-13 LUFS」の基準もあれば、「-9 LUFS」の基準もあり得ます。
MEは、曲がこうした異なるアルゴリズムでもうまく再生され、どこで聴かれても最高の状態で鳴るようにしなければなりません。
さまざまなプラットフォームや再生機器への対応
音楽はとても身近になり、今ではスマホやノートPC、テレビなどで聴かれることが多くなりました。誰もが良いオーディオで音楽を楽しむ時間や余裕があるわけではありません。そこで重要になるのが位相とモノラルです。多くの個人用デバイスはモノラル再生だからです。
ハイファイのオーディオシステムはステレオ再生なので、パンニングや空間の広がりを感じやすいですが、スマホではそうはいきません。逆相の要素があると、モノラル環境で再生したときに周波数が打ち消し合って聞こえなくなり、曲が本来の音で鳴らなくなってしまいます。
もうひとつ考慮すべきなのが、機器ごとの周波数特性の違いです。スマホのスピーカーは低音域を出せるほど大きくありませんが、それでも何らかの形でリスナーに低音を感じてもらう必要があります。
ISRCコード
ISRC(国際標準レコーディングコード)は、曲ごとに割り当てられる固有のコードで、再生回数の追跡や印税の分配に役立ちます。作品から収入を得られるかどうかを左右するので、とても重要です。
MEは、ISRCコード(通常はディストリビューターやレーベルが発行)をファイルに埋め込むことができます。
アルバムやEPの仕上げ
最後に、MEはアルバムやEPなどの作品全体をまとめる役割も担います。曲の流れがスムーズで、音量がそろい、全曲を通して音の質感が統一されるように仕上げます。その結果、まとまりがあって素晴らしい音の完成品が手元に届くわけです。
マスタリングエンジニアはどのように作業しているのか
鍛えられた耳
鍛えられた耳は、お金で買えるものでも機材で補えるものでもなく、長年の練習によって身につくものです。マスタリングエンジニアにとって最も重要な道具と言ってもいいでしょう。優れた耳と、曲に何が必要かを見極める力がなければ、安定して素晴らしい仕事をすることはできません。
クリティカルに聴く力や周波数帯域への鋭い感覚は誰でも身につけられますが、何事もそうであるように、時間と積み重ねが必要です。
音の処理(インボード/アウトボード)
ファイルが品質チェックを通過し、大きな問題がないと判断したら、MEは音の処理に取りかかります。マスタリングでの調整はほとんどが繊細で正確なものです。MEの仕事は、受け取った音源を(求められない限り)大きく変えずに良くすることだからです。
EQ、コンプレッション、サチュレーション、ステレオイメージング、リミッティングなどが、MEのシグナルチェーンを構成します。これらの処理をハードウェアで行うかソフトウェアで行うかは、エンジニアの好み次第です。
独自のプロセス(その人ならではの音)
MEにはそれぞれ他と差がつく持ち味があります。また、音楽のジャンルによっては、マスターに求める具体的な仕上がりがあるかもしれません。
どんな機材やプラグインを使い、どう処理するかによって違いが生まれ、それがエンジニアの個性になります。
高品質なモニター環境と(きちんと調整された)リスニングルーム
「鍛えられた耳」と同じくらい重要なのが、質の高いリスニング環境です。たとえばKii Audioのようなモニターシステムはかなりの投資になりますが、使いこなせるならそれだけの価値は十分にあります。まずまずのスタジオモニターで仕事ができないわけではありませんが、こうしたシステムは優秀さが実証されており、MEが生み出すサウンドを決定づける要素になります。
ただし、きちんと設計され、音響処理された部屋がなければ、モニターの品質はそれほど意味を持たず、その恩恵を十分に受けられないかもしれません。良い音を体感するには、それを支える環境が必要です。
成功しているMEの多くは、自分のニーズに合わせて部屋を設計しています。その空間やスピーカー、機材の音の特徴を知り尽くしているからこそ、ハイレベルな作品を生み出せるのです。
よくある誤解
マスタリングエンジニアは、ミックスのミスを直してくれる人ではありません。だからこそ、送る前にミックスに自信を持てる状態にしておく必要があります。MEは受け取った音源をもとに、できる限り良い音に仕上げるのが仕事です。
まとめ
マスタリングエンジニアの役割は、録音音楽の分野、そして音楽業界全体にとって欠かせないものです。誕生以来、彼らは制作の最終工程を担い、品質の門番として、その音の個性とクオリティで数えきれないほど多くの人の心を動かしてきたレコードを仕上げてきました。
レコードに関わる時間や労力は最も大きいわけではないかもしれません。それでも完成品に与える影響は非常に大きく、それこそがMEの役目なのです。
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